Traditional Japanese dress

















研究所と自宅までの通り道にある小さな古着屋の前を通り過ぎようとして、アルは窓ガラスの向こうに目をひかれた。

足を止めて、少し汚れたガラスのはまったドアを押す。カランカランとベルが鳴り、初老の婦人がカウンターの中から老眼鏡越しに視線だけ上げた。

アルは小さく会釈するように金色の目を向けて、それから壁の高い位置につるされたハンガーにかかった服を見上げた。

白地に鮮やかな赤で花びらの細い花が大きく描かれたその服は、丈の長いバスローブのような形をしていた。生地は薄くて、たもとが深く長い。アルの目をひいたのは、白の中に散った血のように美しい赤だった。

女物だろうか。大胆な花柄は女性用の衣服に思えるが、それにしてはずいぶんと丈が長いように思えた。十代前半の遅れを取り返すようにすくすく伸びたアルの姉にもまだ長いぐらいだ。

それとも、もともとそういうデザインなのかな?

姉が唯一持っているドレスの、足首まで隠す丈の長さをアルは思い浮かべた。
だとしたら高価かもしれない。古着屋とはいえ、安いものを扱っているばかりではなく、アンティークとかもともとの値段が高額なものとか、様々だ。

身動きしずらい服は裕福さの象徴だから、アルが知らないだけで、この服もそういう種類のものなのかもしれなかった。

アルは手の届かないものを見上げるように、壁にかかった服をじっと見つめた。

けれど、白地に映える大柄の赤い花は、きっとアルの姉によく似合う。

アルは背後を振り返った。白髪の老婦人は、小さな老眼鏡をかけた目をレジ・カウンターの上に広げた本に向けていた。

「あのう、すみません。この服なんですけど」

壁を指差しながら、アルは給料日までの日数を頭の中で計算していた。


















風呂に入りに行こうとすると、弟が「あ、待って、姉さん」と呼び止めた。

エドはリビングを振り返り、ソファから立ち上がった弟に「アルも一緒に入るのか?」と言いたいのをぐっと堪えた。エドにしてみれば本心だが、弟はそれを中年親父のセクハラ発言のように受け取って眉間に皺を作るのだ。同じ年頃の女の子の方がよっぽど擦れてて話がわかる、と思っても、結局は弟のそんなところも好きなのだが。

弟は小さな紙袋を持って、ドアの前で待っている姉のもとへとやってきた。研究所から帰ってきたアルが手にしていた袋だ。もしかしたら自分へのプレゼントかもしれないけど何も言わないから違うのかなと思いつつ気にしていたエドは、ぱっと表情を輝かせた。

「はい。お風呂あがりに着てね」

「パジャマか?」

受け取った紙袋はけっこう重みがあった。

「うん。東の方にある島の人が夜に着る服だって。バスローブみたいに着ればいいって。古着屋さんで見つけたんだけど、姉さんに似合いそうだったから」

そう言ってやわらかく微笑む弟の笑顔に、エドは正視していられなくて俯いた。頬の辺りが熱い。ああ、ほんとにオレってこいつのことが好きなんだよな。

「ありがとな」と、床に呟くように礼を言って、エドはくるりと背を向けた。ドアを開け、廊下へ出てゆこうとするエドの背に、弟は思い出したように一言付け加えた。

「あ、下着は着けないでね」
















バスタブの中で、エドは泡の中から揃ってのぞいた生身と機械の膝小僧をもう何十分も同じ姿勢で見つめていた。濡れた髪の張り付いた顔は、湯あたりしたように赤かった。

身動き一つしないエドの頭の中をぐるぐる回っているのは、背中にかけられた弟の言葉だった。

下着を着なくていいってことは、つまりそういうことをするからってことだよな。そういうことだよな。

自分の解釈が間違っていないことを確かめるように、そしてそれを自分に言い聞かせるように、エドは何回も頭の中で、同じ自問自答を繰り返した。

そうしてたどり着く結論に、エドはまた赤くなる顔を機械と生身、それぞれの手で被った。アルの、この世に生まれてまだ一年にもならない、細くて綺麗な手を思い浮かべる。その手が、自分の身体に触れることを。

身体の中を伝い落ちるように、濡れたものが下肢に溜まる。肌の内側をざわざわと快感が這い回り、眩暈を覚えたようにエドは目を閉じた。心臓が、どきどき鳴っている。湯船の中の足の先まで、じんわりと痺れるように気持ちいい。

する前からこんなに気持ちよかったら、実際にした時にはどれぐらい気持ちいいんだろう。

エドはふと両手を下ろして目を見開いた。

「……いっかい、抜いといた方がいいか?」

ひどく真剣な顔で呟かれた声が、バスルームに反響した。最初からあんまりがっついたら、アルに幻滅されるかもしれないし。

ある意味、弟はすでに姉へと幻想など抱いていなかったが、バスタブに真っ赤な顔を半分沈めて、エドワードはまた新たな自問自答をぐるぐると繰り返した。
















いつもより長いバスタイムを終えた姉がリビングのドアを開け、膝の上にのせていた本から、アルは視線を上げた。

色素の薄い肌が温まって、姉の顔は子供のようにすっかり赤くなっている。着慣れない服に戸惑っているのか、いつもの姉らしくなく、後ろ手に閉めたドアの前でこれも子供のようにもじもじとしていた。
俯くように顎をひいて、上目遣いに向けられる視線は、初めて着たドレスが似合うかどうか気にしているようなそんな様子だ。

身体に巻きつけられた薄い生地に、身体のラインがはっきりと出るかと思えばゆったりと隠される。首から上と手首から先以外はすっかり被ってしまう布地の多さは、真っ白な生地と赤い花を良く映えさせた。それを着ている姉の美しさも。

やっぱり、姉さんに似合ってる。

肉親の贔屓目だけではないと、アルはそう思った。自分の見立ての確かさにも満足して、笑みが浮かぶ。ぱたんと、アルが本を閉じると、姉が唇をぎゅっと引き結んで、ドアから離れた。

「ちょっと長かったね」

裾をわずかに床にひきずる長さは、丈をつめた方がいいのかもしれない。腰にまわして結ばれたやわらかい布が長く垂れて、姉が足を動かす度にひらひらと揺れた。

「着心地は悪くない?」

もっと近くで見せてほしくて、アルは姉へと手を伸ばした。ゆったりとした袖先から覗いた指先を握ると、湯上りの温かさが気持ちよかった。「うん」と小さい声で応える姉の目が、見下ろす高さからアルに向けられる。

きつい印象の目元が頬と同じように赤くなって、金色の目が潤んでいた。湯あたりでもしたのかな、と思って、アルは手の中の温かい体温に思い至った。

「姉さん、湯冷めしないうちにベッドに入ったほうがいいよ」

そう言ってアルが手を離すと、だらんと力のなく姉の手が揺れた。見上げる先で、真っ赤な顔が呆然とした表情を浮かべて、口をぱくぱくと開いて閉じた。

「なんで……?」

「なんで……って?」

アルは姉を見上げたまま小さく首をかしげた。お風呂に入って温まった身体が冷めて風邪をひかないうちにベッドに入ることに、なんで、と言われても。

「だって、下着、つけるなって……」

呆然とした表情のまま、エドはかろうじて声を出した。

「うん。下着は着けないで着る服なんだって、それ」

古着屋の老婦人は、アルに丁寧に異国の服の着方を教えてくれた。パジャマに相当するらしい夜着ならば、そんな着方もあるのだろうかとアルは素直に店主の言った通りを姉に伝えたまでだった。

「姉さん……?」

姉の細い肩が、小刻みに震えているのに気づいて、アルはまた小首をかしげた。濡れて色を濃くした金髪が肩にかかって薄い布地を濡らしていた。ああ、もう、また髪をちゃんと拭かないで出てきて。

姉さん、髪ちゃんと拭いて、と。言いかけたアルの顔に、ものすごい勢いでクッションがぶつかった。

「わっ!」

「アルのバカーーー!!」





バタン!と大きな音を立ててドアが閉まり、ばたばたと走り去る足音が遠くなっていった。





















お題「「浴衣」/04.06.28 ハナ
*ちゃんと浴衣エロも書きますね…姉さんが不憫だ。