Countdown | ||||||
部下が伴って入室してきた二人の来客に、東方司令部ロイ・マスタング大佐は椅子に深く腰掛けたまま、白い手袋に包まれた指を目の前で組み合わせた。 「やあ鋼の。昨日、連絡もいれずに約束をすっぽかしてくれたのは、そちらの可愛らしいお嬢さんとデートでもしていたからかな?」 「口の減らねえクソ大佐殿、こっちにもいろいろ事情があったんだよ。つーか、じろじろ見んな」 ロイの視線を遮るように、エドワードは少女の前に一歩出た。思い切り睨むエド赤いコートの裾を細い指が掴んでぐいっとひっぱった。 「兄さん、だめだよ」 上目遣いに見上げる相手に振り向く横顔は、ずいぶんと脂下がっている。鎧の弟を見る時のでれでれした顔にそっくりだった。なるほど。 「君の大事な弟を、早くきちんと紹介してくれないかね。鋼の」 真っ黒なワンピースを着た少女は、間違いなく鋼の錬金術師の弟だった。 彼ら兄弟の生体練成は、成功したとは言えなかったようだ。 「改めまして、こんにちは。アルフォンス・エルリックくん」 アルは目の前に立つ相手が差し出した手に、右手を差し出した。 「こんにちは。マスタング大佐」 にっこり笑って握手をしようとした手が、すいっと持ち上げられた。なんだろうと思う間もなく、アルの手の甲に大佐が口付けた。わ、あったかい。やわらかい。 手袋越しの体温は伝わらなかったが、肌にふれる唇はあたたかかった。あ、兄さん以外の人にさわったの、初めてだ、と。そう思うと、なんだか嬉しいような気恥かしいような気分になって、アルは口元に笑みを浮かべた。 「ぎゃー!!! なにすんだ!! 放せ! 変態! 無能!アルの手が汚れる!この黴菌!」 兄さん、うるさい。 にやにや笑ってひらりと攻撃をかわした大佐にさらに飛び掛ろうとした兄のコートの襟を、アルは寸でで掴んで引き戻した。 「あのう、今日は大佐にご報告と、それから相談があって伺ったんです」 「私にできることなら、なんでも力になろう。アルフォンスくん」 相変わらず君付けだけれど、大佐の笑顔はなんかこう今まで見たことのない種類のものだった。ことさらに愛想のいいそれが、傍らで毛を逆立てた猫みたいにふーふー威嚇している兄をからかってのことだとはわかっていても、アルはなんだか落ち着かなかった。 一旦退室した中尉が、お茶を持って現れた。アルと兄は応接ソファに大佐と向かい合って座った。 下がろうとする中尉を大佐が呼びとめ、同席するように言う。 「兄さん、大佐にお話して」 ふてくされている兄のコートの袖をひっぱって、促す。アルにも説明できなくはなかったが、兄を差し置いてでしゃばるのは嫌だった。 そんなアルの気持ちを察しない兄ではないので、不機嫌な様子はそのままに、エドは金色の目で大佐を睨みつけた。 「練成の結果は見ての通り、原因はこれから解明する。その為に、腰すえて生体練成の研究すっから、郊外にでっかい家を一件借りたいんだよ」 「なるほど、それで私に保証人になれとな。確かに鋼の相手では、たとえ国家錬金術師の資格を持っているといえども、まっとうな大家ならば家は貸さないだろうな」 よかろう、と了承して、大佐は傍らにひかえる中尉を「頼めるかね」と振り仰いだ。目礼して頷く中尉に、「それからもう1つ」と続ける。 「アルフォンスくんに当面必要な衣類や日用品をそろえてやってくれないか。中尉はたしか午後から非番だったろう」 「わかりました」 「えぇっ!! そ、そんな、いいですっ!」 アルはいきなり自分に話題を向けられて、あわてて両手を振った。 「中尉とのデートでは不満かね? しかし、残念ながら、私はこの後外せない会議があるのだよ」 「誰もそんな話してねえよ!」 青筋をたてた兄が、大佐に噛み付く。ああもう、兄さん、うるさい! 一人で軽くパニックになっているアルに、中尉が落ち着かせるように「アルフォンスくん」と名前を呼んだ。 「私が一緒では嫌かしら?」 「いえ……、そんなことはないですけど……」 「そう」 にっこりと微笑まれてしまって、アルは頬を赤くして俯いた。その隙に、中尉が鋭い目を騒ぎ立てるエドに向けて、「エドワードくんも異論はないわね」とぴしりと釘を刺した姿を、アルは見逃した。 「はい……」 「では、準備をしてまいります」と、上官に一礼して退出する中尉を、大佐が呼び止めた。 「ああ、中尉。領収書はすべて私の名で」 「了解しました」 「た、大佐っ!?」 それこそ、そんなものは貰えないと思って口を開くアルを、大佐は優しく笑みを浮かべて制した。 「仮りであることには依然変わらないが、君が人間の身体を取り戻したお祝いだよ。うけとってくれるね?」 好意だと言われれば、「ぜってーいらねえ!」と傍らで怒鳴り散らす兄のように、アルは断ることができなかった。 大佐の意図はかなりの部分が兄をからかうためにあったけれど、それでもやっぱり、アルの身体が戻ったことを祝ってくれる気持ちも本当な気がしたから。 アルはなんだか嬉しくって、「はい」と、はにかむように俯いた。 「苦労するな、鋼の」 着替えを済ませた中尉に連れられて、ドアから出ていった少女を未練がましく見送っていた相手に、ロイはからかうばかりではなく同情を込めて声をかけた。 振り返った顔が睨む眼光は、守る相手がその場にいなくなったせいか幾分迫力が薄まっていた。 「見た目は14、5才はあるようだが、あの胸のサイズは鋼のの趣味か?」 「……てめぇ、どこ見てんだよ……!」 「練成物のディティールが術者のイメージに依るものなら、細い体にあの豊かな胸も、やわらかな長い髪も、お前が考えて造りだしたものだろうと言っているのだよ、鋼の」 声をわずかに改めて、言い方を変える。膝の上に両手を握って俯き、もう一度ロイを見上げる目は別な意味で凄みを蓄えていた。 「アルには言うな」 「聞かせるつもりがないからこうして今聞いているんだよ」 そんなことは目の前の少年もわかっていた。それでも、口止めを言葉にして確認せずにはいられないのだろう。 「もっとも、彼も錬金術師だ。失敗の可能性の一つとして、すでに考えているのではないかね」 「……あんたには、関係ない」 「自分に都合のいい時は利用して、あとは関係ない、か。よかろう」 ロイはソファから立ちあがった。交渉の決裂を意味するようなその態度に、少年はすがる視線で追いかけるようなことはしなかった。 窓辺の執務机に戻って、ロイは書類を広げた。 「聞きたかったのは、術者としての純然とした興味だよ。答えなくても構わない」 「練成光で視界が真っ白になった時、母さんを練成した時のことを思い出した。そうじゃなければ、俺の潜在意識だろうな。子供の頃からずっと、アルが妹だったらよかったって思ってた」 それで答えてしまうのは、等価交換というよりも、子供の潔癖さだろうとロイは思った。 「男の身体より、女の身体の方がいいかね?」 「……男と女なら、兄妹でも結婚できるって思ってたんだよ」 視線を向けることはしなかったが、素直に答える声が忌々しそうで、ロイはふき出しそうになるのを寸前でこらえた。 弟が鎧になってからの兄弟しか、ロイは知らなかったが、そんなに幼い頃から弟だけを見ていたのかと思うと、そのブラコンぶりには恐れ入るというか。弟が不憫というか。 弟に生まれても妹に生まれても、兄がこの少年という時点で苦労は尽きないだろうに、弟に生まれながら妹の身体に変わってしまったというのだから。 ロイは、少女の姿を思い出した。清楚や可憐という形容がぴったりの外見に、けれど雰囲気は凛としている。 あれは鎧の時と同じ目だった。兄が元の姿に戻してくれると信じている、強い意思を秘めた目だ。 まあ、それにしても。 「妹というのは本当に失敗したな、鋼の。あと2年もしたら、街中の男どもが放っておかないぞ、あれは」 「ぜったい、元通りにするから心配なんかいらねーよ。よけーなお世話だ!」 もっとも、一番心配なのは、自分の理性だろうがな、と。 嫌というほどわかっている相手に、よけいなお世話に違いないので、ロイは言わずに黙っておいた。 |
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お題「カウントダウン」/04.06.03 ハナ *兄さんの理性が切れるまでのカウントダウン |