The beat of a breast | ||||||
ホークアイ中尉とは大通りで別れ、アルは上官から荷物持ちを命じられて車を出してくれたハボック少尉とともに司令部に戻った。 「ありがとうございました。ハボック少尉」 敷地内の駐車場に止まった車から荷物を持って降りようとして、アルは咥え煙草の少尉に止められた。 「ああ、いいって。どーせ、宿まで送ってくことになるから、そのまましとけよ」 「でも……」 「軍用車っつっても、こいつは大佐専用車みたいなもんだから気にすんな」 「はあ……」 気安く請け負ってキーを抜く少尉においていかれないように、アルは後部座席を気にしながら車を降りた。山のように積みあがった衣装箱や紙袋は、確かに下ろしてみたところで兄とアルの二人で宿まで運べる量ではなかった。 しかも、洋服ってけっこう重いんだよなあ。 アルはステップから足を下ろし、とたんに指先に走った痛みに眉を寄せた。 右足の小指が、ずきずきと痛んだ。思わず身体を支えるように車体に手をかけて、アルは自分の足を見下ろした。 適当な材料が見つからなかったので、靴は兄が近くの靴屋から買ってきてくれたものだった。かかとの低い、シンプルで女性らしいデザインの編み上げの黒いブーツの、右足の小指の辺りがずきずきと痛む。 「どうした? お姫さん」 なんだろう、とは思ったが、車の反対側から顔を出すハボックにそう言われて、アルは「なんでもないです」とドアを閉めた。 「てゆーか、その呼び方やめませんか? ハボック少尉」 兄を「鋼の大将」などと呼んでいるのを気にしたことはなかったが、矛先が自分に向けられるとなると話は別だった。眉をしかめて見上げるアルを細くなった目が見下ろして、煙草をくわえたまま口が両端を上げた。 「お姫さんは不満か?」 「不満ですよ。ボク、一応、中身は男ですから」 「ホントに姫さんなわけじゃないんなら、気にすることないだろ」 「ホントにそうなわけじゃないから気になるんです!」 「じゃあ、ホントにお姫さんならそう呼ばれてもいいわけか」と、答えを返すというよりは独り言のように言いながら司令部に戻るハボックの後を、アルはむーっと眉の間に皺を寄せたままついていった。 足はやはり右の小指だけが歩く度に痛かった。どこかでぶつけたんだろうかと思いながら司令部の居室に入ると、控えめな好奇の目がアルとハボックを出迎えた。 居心地の悪さを覚えながら、アルは大佐の執務室のドアをノックした。 鎧の時もじろじろ見られることはよくあったが、まだ今より平気だった気がする。 男なのに女の子の格好(というか女の子そのものなのだが)をしているような自己認識のアルは、人の目にもそんな風に見られている気がしていた。 ハボックがアルを「お姫さま」とからかうのも、そんな理由からなんだろうと。 ドアの向こうから入室を許可する声に、アルはため息をつきながらノブを回した。 窓辺の執務机の上にペンを置いて、大佐が顔を上げる。「やあ、お帰り」と、にこやかに笑みを浮かべる大佐とは対照的に、ソファにふんぞり返ってテーブルに足を投げ出す兄はひどい仏頂面だった。 「必要なものはちゃんと揃ったかね?」 「はい……。あの……、ありがとうございます、大佐」 アルはスカートの上に両手をそろえてお辞儀をした。顔を上げると、珍しいものを見たように大佐は目を瞬いて、それから小さく笑みを浮かべた。 「なんというか……、本当に君はあの鎧の中にいたんだな」 「はい……?」 小さく首を傾げて答えると、大佐はもっと可笑しそうに笑った。 「そうだな。非常に当たり前だが、どちらの姿でもその仕草が似合っているというのが、どうも……」 口元を押さえて、くつくつと笑う大佐に、アルは困って「はあ」と答える。兄はますます仏頂面だ。とりあえず、兄の用事が済んでいるなら退室したほうが大佐の仕事の邪魔にもならないだろう。 アルは兄の方へと足向けて、絨毯の上を数歩歩いた。近づいてくるアルへと視線を向けた兄の目が、軽く見開かれて忙しなく瞬く。 「アル……、足、どうかしたのか……?」 険しく眉間に皺を寄せて立ち上がった兄に、アルは思わず足を止めた。 「あ、うん……」 誤魔化す方が話がややこしくなる。アルは素直に認めた。 「なんか、右足の小指が痛くって……、どこかでぶつけたのかも」 「ちょっと見せてみろ」 つかつかと歩み寄った兄が、迷わずアルの足元に膝をついた。真剣な顔が、黒いブーツを見下ろして手を伸ばす。編み上げた靴紐を解いて、エドはブーツのかかとに手を回した。 アルはしゃがんだ兄の肩に手を置いて、右足を浮かせた。白い靴下を兄の手が脱がす。小さく細い小指の外側の皮膚が、赤くなってうすく盛り上がっていた。 「靴擦れだ」 「そっか、初めて履いた靴だもんね」 初めて履く靴どころか、数年ぶりに履いた靴だった。アルは痛みの原因に納得して肩を下ろし、エドは水ぶくれになっている小さな指に顔をしかめた。 「悪い……、サイズがあってなかったんだな」 視線を上げる兄の方が、痛そうな表情をしていた。 「兄さんのせいじゃないよ。左足はなんともないもん。そのうち慣れて靴擦れもできなくなるよ」 アルは本心からそう答えたが、うつむいた兄は、「そっちも見せてみろ」と左足のブーツの靴紐も解いた。 「こっちは大丈夫だよ?」 「いいから、脱げ」 やっぱり有無を言わさぬ声だ。アルはおとなしく左足を差し出しながら、兄の肩に両手を置いて、ふと気になって視線を上げた。執務机の大佐は、頬上をついてアルと兄とを眺めていた。視線が正面から合って、黒い目が面白そうに細められた。 アルはなんだか急に恥かしくなって俯いた。頬が熱くて、顔が赤くなっている気がする。心臓がちょっとどきどきしていた。兄が弟に対してけっこう心配性だったり庇護欲みたいなものが強かったりすることは、アルも自覚していたが、そんな姿を人に見られるのはなんとなく恥かしかった。 けれどアルの気持ちも知らずに、兄は真剣な様子で裸足になった両足を確認していた。 「左はどこも靴擦れになってないな」 「だから、そう言ったでしょ」 恥かしさも手伝って、アルの声は少し拗ねたようになった。ああ、やだな。なんだか子供っぽい。大佐が見てるのに、兄さん心配しすぎだよ。 脱がせた靴下をブーツの中に押し込んで、エドは左右の靴紐を一緒に結んだ。 「兄さん?」 と尋ねるアルに答えずに、兄はブーツの紐を肩にかけて、ひょい、とアルを抱き上げた。 「に、兄さん!? な、なにしてんの!?」 身長の差のあまりないアルを両腕に軽々と抱きかかえて、エドは弟の問いに「落っこちるぞ」とだけ返した。すぐ側で聞こえる声に、アルは思わず口を閉ざした。 「そんじゃ、大佐。家のこと、頼んだからな」 「ああ、早めに手配しよう。宿まではまたハボックを使いたまえ」 頬杖をついてにやにや笑う大佐を兄は振り返らなかったが、抱きかかえられたアルにはその表情がよく見えた。 「また遊びにおいで、アルフォンスくん」 「もう来ねーよ」 アルよりも先に返事を返して、兄はすたすたとドアに向かった。「アル、ちょっと首に掴まれ」と、ドアを開けるのに片手を空けたい兄がアルを促す。 「兄さん、ボク、自分で歩けるから下ろして」 大佐の耳が気になって、アルは小声で囁いたが兄はうんと言わなかった。無言で却下する兄に、アルの方が折れた。 そうっと、兄の首に両腕を回してしがみつく。ドアが開いて、背後でざわっと音がする。痛いほど視線を感じて、アルは赤くなった顔を兄の肩口に押し付けた。 子供みたいにだっこされている自分と、抱きかかえてしまう兄とが恥かしいなんてもんじゃなくって。 「こいつはまた小さな王子さまだ」 平気な様子で司令部を横切るエドに、入口近くのデスクについていたハボックが声をかけた。整った顔立ちで金髪で、弟ではあるが姿かたちは少女と言えるアルを抱きかかえた兄は、確かに映画にでも出てきそうなかっこいい王子さまだ。いまだ平均身長を大きく下回る兄のサイズでは、ハボックが正確に表現した通り、「小さな」ではあるが。 「小さい言うな」 椅子から立ち上がったハボックをむっと睨んで、「宿まで車頼む」とエドは続けた。もとよりそのつもりだったハボックは、車のキーを指先に回しながら兄弟の後をついて出た。 兄の肩に半分隠れた赤い顔を見下ろして、「ほらな、お姫さまだろ?」とでも言うように目だけで笑うハボックに、アルはますます赤くなる顔を思い切りしかめた。 そう身長の変わらない自分を危なげなく抱きかかえて歩く相手は、どんなに身長が低かろうと豆と言われようと、ちゃんと男の子でちゃんと兄なんだなあ、と。 そんなことを考えると。 何故か心臓が、もっとどきどきした。 |
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お題「胸の鼓動」/04.06.12 ハナ *王子さまみたいなエドが大事にしてるからお姫さま |