鋼で夏のお題 「浴衣」 
げ、現代日本が舞台です…??
















「ねえ、兄さん」

「んー? なんだ、アル? なんか、食べるか?」

祭囃子と夜店のモーター音が聞こえる中、返事をする兄の声は上機嫌だ。アルの手を引いて、数歩前をゆく兄の白い半そでのシャツがオレンジ色のライトに照らされている。

一方、手を引かれるアルの方は、カタカタと足音を鳴らしていた。

「なんで、ボクだけ浴衣なの?」

祭りに行くのに着るようにと渡された浴衣を、当然、兄も着るものと思ったのに。アルの目の前を歩く兄の恰好は、ハーフパンツにスニーカーに白いシャツの普段着だった。

「最後の一着だったんだ」

真面目に答える気のない声だ。「それより、かき氷食うか?」なんて、聞いてくる。
アルは、むうっと口を閉ざした。

神社の参道の砂利の上は慣れない下駄には歩きづらいし、祭りの人出で込み合っているしで、足元の覚束ないアルの手はさっきからずっと兄に繋がれている。転びそうになったりはぐれそうになったりする弟に、「しょうがないなあ」と言って手を差し出してくれた兄の気遣いは嬉しいけれど、もう小さな子供じゃないので兄弟で手を繋ぐなんて恥かしかった。

相手が兄さんじゃなくて、女の子だったらなあ。

そんなことを考えていたら、段差につまづいてしまった。アルは「わっ」と小さく声を上げたが、兄の胸に抱きとめられて転ばすに済んだ。

「大丈夫か?」

耳元で聞こえた声に視線をあげると、すぐ間近に兄の顔があった。

「うん、平気」

「ちょっと休むか」

返事も待たずに、兄はアルを参道の片隅に引っ張っていった。「ここで待ってろよ」と言って、人込みの中に小さな背が消えた。

参道横の石造りの欄干に寄りかかるように腰掛けて、アルは「ふう」とため息をついた。

「どうした? ため息なんかついて」

まるで兄がいなくなるのを見計らったようなタイミングだった。アルは聞き覚えのある声に、俯いていた視線を上げた。

「マスタング先生、こんばんわ」

アルは立ち上がって、ちょこんと頭を下げた。去年まで、科学を教えてくれていた先生は、今年から高等部に移動になっていた。

半そでの白いシャツ姿も、女子生徒に人気のある整った顔も相変わらず涼しげだ。夜目にも白い肌は、日焼けとも縁がないようだった。

ロイは、おや、と言うように首をかしげた。

「兄は一緒じゃないのか?」

「いえ、一緒に来てます。ここで待ってろって、置いてかれました」

「そうか。相変わらず、兄弟仲がいいな」

どこか遠くを見るように視線を逸らして言った相手が隣に腰を下ろしたので、アルも石造りの上に座りなおした。

「先生もお祭りを見に来たんですか?」

「仕事だよ。羽目を外している生徒がいないか、見回りだ」

「夏休みだからですね」

開放感がどうとかゆーのを、昨日の夕方のニュース番組でやっていた気がする。繁華街に遅い時間までいたり、居酒屋さんでお酒を飲もうとしたりする中高校生が増えるのだそうだ。

それを見回るなんて、先生も大変だなあと思っていると、目を瞬いて見下ろす相手と視線が合った。アルは小さく首をかしげた。

「先生?」

「夏休み中は、兄の行動に気をつけるように」

終業式のHRに言うみたいに、真面目な声がそう言った。海に行ったらくらげに気をつけるようにとか、そんな感じで。

「はあ……」

「それから、寝るときは部屋の鍵をちゃんとかけなさい」

何かの冗談なのだろうかと思ったが、相手の顔はいたって真面目だった。なので、アルは「はい」と返事をした。

ロイは小さく頷いて、ふいに目元を和らげた。

「それはそれとして、よく似合っているよ」

目を細めて笑う顔に、アルはちょっとどきどきして俯いた。

この人、女の子にモテるわけだよなあ、と。感心するようにそう思いながら、アルは「ありがとうございます」と浴衣姿を誉めてもらったお礼を言った。

























「あれ、ハボック先生じゃん」

「おう、生意気にデートか、大将」

教え子が両手に持ったかき氷のカップを、くわえ煙草のままハボックは見下ろした。
低い位置から見上げる目が、生意気そうに口の端を上げた。

「センセーは、見回りだろ。一緒に祭りに行くような彼女いねーもんな」

「ほっとけ」

生意気な口を利く生徒を軽く睨んで、ハボックはエドワードの隣に並んだ。なんでついてくるんだと言いたげな目が一瞬、ハボックを見上げる。参道の隣に並ぶ灯篭のさらに奥に腰かけている一人に、ハボックも用があるからだ。

白っぽい生地に真っ赤な金魚の模様の入った浴衣姿の少年と、ハボックの探し人はなにやら話をしていた。エドワードが両手に持ったかき氷の行く先は、尋ねるまでもなかった。

「お前だって、弟じゃないか」

「デートだよ」

振り向かずに答える声は、決して負け惜しみではなかった。
デートねえ、と。ハボックはくわえた煙草を口でもてあそびながら、話題を変えた。

「なんで、弟だけ浴衣なんだ?」

「彼女だけ浴衣の方がデートっぽいだろ。それに、下駄とか浴衣とか動きづらいかっこしてる時に、優しくエスコートされたりすると、今まで友達としか思ってなかった相手を恋愛対象として意識するようになるんだよ」

「なるほど」

やけに力強く言う相手に、ハボックは納得しないでもなく頷いた。友達から恋人ね。

後輩から恋人へってのも、ないもんかね。

自分のことを後輩としか思っていないだろう相手を見つめるハボックの視線に、気づいたエドワードが、「ああー!」と声を荒げた。

「なんで、クソ教師がアルと一緒にいるんだよ!」

「大将がいない間に悪い虫がつかないようにじゃないのかね」

「あいつが一番、悪い虫だ!」

あの女ったらしが!と、エドワードはものすごい勢いで人込みを掻き分けて行く。確かに生徒、同僚、生徒の母親まで、幅広く女性受けのいい先輩教師ではあるが、涼しげな横顔をみあげてちょこんと座っているのは中等部の三年生でしかも男だ。

あいつは頭の出来は悪くないが、頭自体がおかしいんだ、と。

いつだったか、学年主席の少年を指して先輩の言っていた言葉をハボックは思い出した。
ただのブラコンだと、ハボック辺りは思うのだが、先輩教師はそうは思っていないようだった。

まあ、あんな弟がいたら可愛がりたくもなるだろうけどなあ。

人攫いがさらって行ってもおかしくない整った容姿に、愛らしい声のオプションつきで、性格は穏やかで優しいときたら。

ぼんやりとそんなことを考えながら参道横に出たとたんに、目の前のエドワードが片手を振りかぶり、ハボックは「げ!」と声をあげて煙草を落とした。






















風を切って飛んできた何かを、目の前の涼しい顔は表情も変えずに首だけ動かして避けた。

背後の藪に、どさりとぐしゃりの間ぐらいの音がした。

アルフォンスがびっくりして視線を向けた先に、まさにその何かを片手に持った兄がいた。

「アルから離れろ、ロリコン教師!」

「いわれのない中傷だ」

すくっと立ち上がって、ロイは身長差をことさら強調するように高い位置から狼藉者を見下ろした。
無言で睨み上げる相手から、涼しげな眼が逸れて、「お前も、止めんか」と、エドワードの後ろをついてくる長身の男を叱責する。

「はあ、すんませんね。止める間もなくて」

「あ、ハボック先生。こんばんわ」

アルフォンスも立ち上がって、見知った教師に挨拶をした。いつもくわえているトレードマークの煙草は、今日はなかった。

「ほい、こんばんわ。お前さんは、兄貴と違って礼儀正しいな」

長い手が伸びてきて、アルフォンスの頭をくしゃりとかき混ぜた。くすぐったくて首を竦めると、ぱしりと兄の手が大きな手を払いのけた。

「気安くさわんなよ」

「兄さん、先生になに言ってんの!」

「うるさい。行くぞ、アル」

さっきまでの上機嫌は嘘のように不機嫌な表情になって、兄はアルフォンスの手を掴んだ。

「ちょ、ちょっと、兄さん!」

ぐいぐい引っ張られて、アルフォンスは慌てて後ろを振り返った。並んで見送る教師たちにぺこりとお辞儀して、慣れない下駄で兄の後をついてゆく。

「兄さん、待って! もうちょっとゆっくり歩いてよ!」

無言のまま、スニーカーの足がほんの少しだけ歩調を落としてくれるのに、アルフォンスはほっと息をついた。
祭り囃子と縁日の賑わいの中、黙って歩く兄が境内に入ってやっとアルフォンスを振り返った。

「ほら」

と、押し付けられたそれは、プラスチックのカップに入ったかき氷だった。夜目にもあざやかな赤い色は、アルフォンスの好きなイチゴ味のシロップだ。
多分、投げられた方のかき氷のシロップは緑色をしていたのだろう。

なんだかなあ、と。

アルフォンスは、手を繋ぐ相手が兄じゃなくて女の子だったらよかったのにと、そう思った時と同じ気分になった。

気分屋で、機嫌がよかったと思ったらすぐ不機嫌になって、先生にわけのわからない難癖をつけたり、かき氷を投げつけたり(食べ物をそまつにするし!)する人だけど。

ちゃんと、弟の分じゃなくて、自分の方のかき氷を投げるような人なんだよなあ。

そんな人が、血の繋がった兄じゃなくて、同級生の女の子とかだったら、自分の人生はもっと単純だっただろうに。

アルフォンスは、はあ、と小さくため息をついた。

でも、この手を力強く握るのは、兄なのだ。

「兄さん、手、つないでたら、かき氷食べられないよ」

受け取ったプラスチックの容器と、遠い屋台の光にきらきら光る氷のかけらをアルフォンスは見下ろした。青と赤のストライプのストローが刺さっている。

片手だけでは、かき氷は食べられなかった。

兄は言われて初めて気づいたように、弟の手の中のかき氷を見て、そして一瞬の躊躇もなくストローの端を掴んだ。

「ほら」

と言って、真顔でエドワードが差し出すのは、スプーンのように広がった先にすくったかき氷。

「ええーっ」

「なんだよ、早くしろよ。溶けるだろ」

まるでアルフォンスが大げさすぎるみたいに、兄はかすかに眉を寄せた。兄よりももっと眉を寄せて、アルは兄の手を見下ろした。

少しの恥かしげもなくそんなことをしてみせる相手が、せめて幼なじみのウィンリィだったら、と。

そう未練がましく思いながら、アルは小さく口をあけた。

ひやりとしたプラスチックの感触と、冷たくて甘い、イチゴ味。

「うまいか?」

「……うん」

満足そうに口の端を上げて笑う兄に、ぜったいわざとに決まってる、とアルフォンスはむくれながらそう思った。

恥かしいけど、嫌じゃないからこの手を離せないんだって。
知ってて、わざとやってるんだ。絶対。





























04.8.7

手をつないで1個のカキ氷は、弟→兄(兄弟とも浴衣)でも可愛いと思います!アルエドでも可愛いと思います!

兄さんは片思いだと思ってる。