バレンタイン デイ |
「マジ、むかつくよなー」 「いっそ殺したいな。世の中、間違ってる」 目的先のドアを開けて出てきた制服姿が二人、すれ違いざまにそんなことを話しているのが聞こえた。 思わず振り返って、遠くなってゆく後姿を廊下に見送り、エドはまた向き直って目指すドアをノックした。儀礼的なそれに、返事を待たずにノブを回す。デスクがいくつも並ぶ広い室内は、いつきても忙しそうだった。そして、日当たりのいい窓際に少し離れて1つだけ置かれた広い机の持ち主だけは、書類の束を積み重ねて、暇そうに…。 エドはドアを開けたまま、目を瞬いた。 書類の束は、机の上になかった。代わりにあるのは。 「やあ、鋼の。今日は何用だね」 胡散臭いぐらいににこやかな笑顔が、エドを見とめて声をかけた。わかりやすいぐらいに上機嫌の、その理由もわかりやすかった。 エドは、さきほどすれ違った二人連れの会話を思い返した。 なるほど、確かにマジでむかつく。 「あれ? エドワード君」 背後から名前を呼ばれて、エドは入口をふさいでいたことに気づいた。あわてて避けながら振り返ると、比較的、身長差のない相手がめがねの奥で大きな目を瞬いた。 「こんにちは」 「どうも」 にこっと笑ってエドを追い越し、フュリー曹長は窓際の机へと直行した。 「三時までに受付に届いた分です」 と言って、曹長は腕にかかえていた色とりどりの箱や袋を、机の上のそれらの山に新たに加えた。 「毎年のことながら、壮観ですねー。大佐」 「それほどでもないがね。はっはっは!」 勝ち誇ったような笑い声が、言葉の謙虚さを裏切っていた。入口近くのデスクで、タバコを口の端にくわえた少尉が、うんざりしたような半眼を逸らした。 朝からこの調子だっただろうことは、エドにも容易に想像ができた。バカげた事態の常にストッパーとなってくれる中尉の姿は、部屋の中には見当たらなかった。 「では、5時のメールでまたお届けにあがりますね」 元気に一礼して、小柄な制服姿はドアを出て行った。見送った視線が、いまだドアの横に立ったままのエドへと移動する。 「どうしたね、鋼の。そんなところに立ったままで」 大佐の笑顔にはたいていの場合、むかつくが、今日のそれは今までで一番かもしれない。嫌味もなにもなく、沢山の女性たちから贈られた好意に囲まれて、喜んでいる笑顔。 そんな顔を、自分は向けられたことがあっただろうかとか、そんな顔をさせたことがあっただろうかとか考え出すと、もう。 むかつく方から、落ち込む方へと感情の針が傾きはじめる。エドは眉を寄せた。さっさと用事を済ませて帰るに限る。気持ちは、今すぐに背中を向けて弟の待つ宿へと帰りたがったけれど。 エドは大佐の執務机の前で立ち止まった。見下ろす先には、数える気もなくなるぐらいに積み重なったバレンタインのチョコレート。 「研究費の試算表に、ここの担当者のサインがいるってゆーんだけど」 「担当者は私だ」 「サイン」 コートのポケットにつっこんでいた紙を突き出すと、いつもなら折れ曲がった書類にしかめられる顔は機嫌よくそれを受け取った。 「少尉にお茶でも入れさせよう。菓子がある」 ペンに手を伸ばしながら、大佐は書類へと視線を伏せた。子供におやつをすすめるような口調に、いらいらする。違う、いらいらするのは他の理由だ。 糖尿にでも肥満にでもなりやがれ、と。エドは声にせずに毒づいて、背後を振り返った。「すぐ帰るからいらないよ、少尉」と、椅子から立ち上がりかけていたハボックを制止する。 「菓子も茶も、いらねーよ」 あんたのおこぼれなんか、と、言葉の外に含ませた声でエドは答えた。 「それは残念」 少しも残念そうに聞こえない声がさらりと返して、机の引き出しを開けた。白い手が取り出して、机の上に置いたのはリボンのかけられた小さな箱だった。 「鋼のにやろうと思って買ったんだが」 上品な飴色の包装紙から離れた指が、しわの寄った書類を取り上げた。 「本当に、いらないのかね。鋼の」 口の端をゆったりと上げて笑う顔が、白い紙を差し出した。 沈黙は、一瞬。 「それこそ、いらねーよ!」 「はっはっは。冗談に本気で怒るとは子供だな、鋼の」 上機嫌の笑い声に、エドは書類を奪い取って背を向けた。「もう帰んのか、大将」と、のんびりした声がすれ違いざま聞こえたのに、「帰る!」と短く答えて、開けたドアを思い切り乱暴に閉めた。 しんと、静まり返った廊下で、エドは頭を下げて座り込んだ。 自分をおちょくるためだけに仕込んだネタだと、わかっているのに。 本当に、欲しかった。なんて。 むかつく。 |
04.2.14 フィクションなので、日本風バレンタインで。空羽さんにエド描いてもらいました。うわーい。かわいい! |