エドアル 10 TEXT
兄弟喧嘩


















記憶にある一番昔から、けんかばかりしていた。


原因を作るのは、たいてい一つ年上の兄だった。弟の皿からおかずを取ったり、教科書に落書きしたり、ノートをノリで貼り付けてみたり。

けれどこれはあんまりだと思う。あんまり過ぎると思う。

アルはテーブルの上に広げられた本を、ほとんど悲しい気分で見下ろした。

昨日、買ったばかりの本は、真新しい真っ白な紙に活版で印刷された黒い文字がくっきりと並んでいた。
最新の医学研究報告をまとめた厚みのある専門書を宿泊先の街の本屋で見つけ、荷物になるとしぶる兄に頼んで買ってもらって、一晩かけて半分まで読み終えて、朝食を食べる兄のかたわらで日課の鎧の手入れをしてから少しだけ読んで、気分転換にちょっと買出しに行って戻って来る間に。


真新しい真っ白な紙に活版で印刷された黒い文字は、真っ黒なインクに覆われてしまっていた。


本の反対側にはほとんど空になったインク壺と、投げ出されたペンと、真っ白なレポート紙。床の上には倒れたままの椅子。

わざとじゃないことはわかっている。国家錬金術師の査定が近い兄は、旅先の宿毎にレポート紙と文献を広げ、研究報告を作成していた。本当に研究している方の内容は、国家錬金術師としてあるまじきものなので、兄はいつも偽の研究報告を上げていた。偽りとはいえ、成果が出なければ資格を剥奪されるのだから、兄の努力と苦労は並々ならない。

眠くなったか飽きたか、もしくは、集中しすぎたかで、うっかりインクの壺を倒してしまったのだろう。

わざとではないのだ。だから、謝ってくれればいいだけなのに。

慌てて立ち上がって倒れた椅子をもとに戻すことも忘れて、大急ぎで宿を出ていった兄の姿を思い浮かべて、アルは心の中でため息をついた。

今はもう、わかるから。一番好きなおかずをとられたことは一度もなかったことや、鉛筆で書かれた落書きが少し消しゴムでこすっただけで消えてしまうようなものだったことや、ノリ付けされていたところは何も字が書いてない場所だったことが、昔はわからなかったけど。


「今はもう、わかるんだから」


必死な顔に汗を浮かべて、街中の本屋をまわって同じ本を探している兄を思いながら、アルはまだ乾かないインクの染みに、文句を言うように呟いた。









わかってしまうから、もう喧嘩もできないよ。




















04.2.24
喧嘩できない方向で。