大佐30 TEXT
剥く























11時50分。視察から戻った大佐が、茶色い紙袋を抱えて上機嫌で居室のドアから入って来た。



つい監査報告時のクセで上司の行動を確認してしまい、ハボックは忌々しい気持ちで舌打ちをこらえた。

視察と称して(実際、視察でもあるのだが)、東方司令部の大佐殿は頻繁に町へ出る。軍のお偉いさんがちょくちょく顔を見せるせいもあって、イーストシティでは軍部の評判は他所の地域ほど悪くはない。

その辺の効果も考慮の内なのだろうが、視察から帰る度に果物やら手作りの菓子やら花束やらラブレターやらを抱えてやに下がっている様子を見ると、そっちが目的なのではないかと因縁をつけたくなるのが人情ってもんだろう。

人として当然な感情を覚えながら、ハボックは椅子から立ち上がり、上官から与えられた職務を一つ遂行した。

「マスタング大佐、ホークアイ中尉からの伝言です。体調が優れないので医務室に行ってくるとのこと、書類受の一番上の報告書は正午までに目を通して確認印をとのこと、以上です」

わざとらしく敬礼するハボックの顔を、「報告書か、面倒だな」と書いてある顔が見上げ、「中尉はどうしたんだね」と口に出して尋ねた。

「はあ、風邪気味みたいっすね」

言葉を崩して答えるハボックに眉を寄せることもなく、大佐は視線を伏せて「そうか」と考え込むように呟いた。

身長の関係で見下ろした先に見えた紙袋の中身は、真っ赤なリンゴだった。




















食堂から戻る途中で、通りかかった給湯室から聞き覚えのある声が聞こえてきてハボックは足を止めた。

「なにやってんスか?」

「わ」

手の中にむかって、「どうしてこんなに剥きにくい形状なんだ」とか、「練成式を書くのも面倒だしな」とかぶつぶつ言っていた相手が、声をあげて振り返った。

薄汚れたシンクの前に立っていた大佐は、ハボックの顔を見上げると眉を寄せた。

「刃物を扱っている時に背後から急に話し掛けるな! 危ないじゃないか!」

「はぁ、すんません」

一応、謝って、ハボックはシンクの縁に置いてある皿を、正しくは皿の上の妙なものを指差した。

「で、なんスか? それ」

「見て分からんのか、りんごだ」

「そりゃわかりますよ。なんなんスか、その形」

上官の言うとおり、皿の上にのっているのはりんごだったが、白い果肉には赤い皮がまだらに残り、作りそこねの積み木のように角張った形をしている。大きさも、小指の先ほどのものからもとのサイズの半分ぐらいのものまで、びっくりするほど不揃いだ。

見た目の悪さに自覚があるのか、自分で剥いたのだろうそれを、大佐は嫌なものを見るようにじっと見下ろした。

「栄養価には問題ない」

「でも、食欲は減退するでしょうねえ」

確かに栄養面に見た目は影響しないが、風邪気味な人間のただでさえ少なくなっている食欲をゼロにしそうな形状なのも確かだった。

つっかえされればいい気味だが、仕事が出来て射撃の腕も一流でよく気がつくうちの美人中尉は、ただ1つだけ惜しむらむべく、男の趣味が最悪だった。

「指でも切って、中尉の仕事を増やさんように気をつけてくださいよ」

右手にナイフと、左手に無残に刻まれつつあるリンゴを手にする上官に忠告して、ハボックは巻き込まれる前に退散を決め込んだ。























「中尉」

司令室のドアへ伸ばしかけた手を止めて、リザは振り返った。

廊下の向こうから、人を呼び止めて置きながら急ぐでもなくやってくるのは、ハボック少尉だった。上官として注意すべきところだが、上司がとがめないそれに口出しするつもりはリザにはなかった。憎まれ役を買って出るのを厭うわけではなかったが、彼女の上司は本当に部下の軍紀を乱す態度を不問にしていた。任官した当初は、上司のそんな部分にただ感銘を受けるばかりだったが、すぐに自分に矛先を向けられるのが嫌なのだろうと思うようになった。上官への態度は慇懃無礼の一歩手前でとどめていたが、それ以外は仕事のサボりぶりも、手の抜きぶりもとうてい部下に軍紀云々と説教のできるようなものではなかった。リザは、現在の上司の副官についてから以降、呆れて言葉に詰まる思いを何度となく味わった。そのくせ、肝要な所はきちんと押さえ、決して無能というわけではない。能ある鷹は爪を隠すを、地でゆくような人だった。まるで生まれ持った性質のように。

ああ、いけない。

熱が下がりきっていないせいか、思考が好き勝手にずれてゆく。リザは目の前で立ち止まった相手を見上げて、意識を現実に戻した。

「お加減はもうよろしいんで?」

「ええ。ありがとう、少尉」

口の端を上げて答えて、リザは再びドアに手を伸ばそうとした。引き止めるのを意図する声が、「ああ、そういや」とのんびり呟いた。

「給湯室で大佐がリンゴを剥いてましたよ、危なっかしい手つきで、ありゃあ、放っといたら、自分の指も切っちまいますね」

そう思うならなぜ止めないのだと、頭の痛くなるような気分で、リザはあさっての方向を向いている相手を見上げた。

林檎の入手経路は想像がついた。午前中、大佐は市街の視察に出かけていた。市民の善意で頂いたものだろう。前回は手紙、その前はバラの花、その前は。

「様子を見てきます」

「あんまり、しからんでやって下さい。中尉に差し上げるつもりでいるみたいですから」

風邪にはリンゴがいいって言いますからねえ、と、のんびり言いながら、ハボックはリザの横を追い抜くように、ドアを開けて居室に入っていった。

ああ、まただ。

リザは閉じたドアから通路の床へと視線を下ろした。また、呆れて言葉を失ってしまった。何をしているのだ、あの人は。指でも切って、執務に支障が出たらどうするのだ。林檎なんか。自分のためになんか。


私のすべてよりも、あなたの指1本の方が大事だというのに。


軍靴の踵を返して、リザは来た道を戻るように給湯室へと向かった。ドアのない入り口から中を覗くまでもなく、ぶつぶつ言っている声が聞こえてきた。形がどうのとか、見た目は味に関係ないとか。

「大佐」

「刃物を扱っている時に背後から急に話し掛けるなと……!」

呼びかけると、眉根を寄せた忌々しそうな顔が振り返って。リザを認めて目を見張った。上着を脱いで、白いシャツの腕をまくった右手にはナイフが、左手には真っ赤な林檎が握られていた。

「やあ、中尉。体調は大丈夫かね」

「はい、熱も下がってきましたので」

「そうか、それはよかった。しかし、無理はしないように」

上司らしく部下を気遣う声で、まじめくさった顔がそう忠告するのに、リザは「はい」と答えて言葉を続けた。

「林檎を剥いてらっしゃるんですか?」

「ああ、市街視察の途中で市民の方からもらってね。中尉もどうかね」

何気なさを装って差し出された林檎のかけらを、リザは黙って見下ろした。所々に赤い皮を残した白い果実は不恰好で、そして、愛しい形をしていた。

「では、お言葉に甘えて、お一つ頂きます」

指先につまんだ林檎をリザが口の中に入れると、見守るように見つめていた相手は表情を緩めた。すうと細められた目が、嬉しそうに笑った。


本当に、しようのない人だ。


「今度、林檎をお食べになりたくなった時はおっしゃって下さい。お怪我でもされて、書類にサインがいただけなくなると困りますから」


忘れずに釘を刺したけれど、上機嫌の上司には効いていないようだった。





























04.2.29
大佐好きに30のお題の中から12「剥く」です。もうちょっと増えたらお題元さんにご報告を!と思っています。全部アイロイで書くのが野望です。