つれていって |
街灯が頼りなく照らす暗闇の中、少し先を走る兄さんの白い手袋が揺れている。 夜が深まるのを待って、ロス少尉たちには内緒で部屋を抜け出した。 セントラルシティは大きな都市だったが、軍の施設の立ち並ぶ一帯は日付けの変わって間もない時間に、人一人いなかった。連続殺人犯がいまだ逮捕されないせいで、夜間外出が禁じられているのかもしれない。 誰もいない夜の街を、記憶している地図通りに目的地へと向かう。なるべく足音を響かせないように気をつけて、アルは兄の後ろ姿を追いかけて走った。暗闇の中、夜目にも鮮やかな赤いコートが翻り、視界のすみに白い手袋が現れては消える。 真夜中の街は静寂も闇も等しく深くて、アルは自分の身体の内側を覗き込んでいるような気がした。鎧の中は真っ暗で静かで、考えごとにふける時、アルの意識はいつもその静かな闇の中にあった。静かな夜の全てが、まるで空っぽの鎧の底にあるみたいだと思った。 逸れてゆくアルの意識をひきつけるように、赤いコートのすそから白い手袋が覗いた。手足を失う以前の兄には、似つかわない真っ白な手袋。寒がりなくせに面倒がって冬でも手袋をしないような人だったのに。アルの魂を練成しなければ、今だって着ける必要はなかったのに。 あの時、自分のことを諦めてくれていたら。 兄が、「もういい」とそう言った時の感覚が、アルの内側によみがえった。 今はもうない心臓がぎゅうっとなるような感じが、鎧の空洞のどこかに起こる。 手や足や、痛みを感じる身体を、アルは持っていない。アルが持っているのは魂だけだ。魂には記憶がついてくる、感情もついてくる、けれど痛みはない。 身体の痛みは、ついてこない。 でも、心の痛みはあるんだ、きっと。 兄が危ない目にあったり、怪我をしたりすると、ないはずの心臓がぎゅうっと握りつぶされるような感じがして、アルはそれを痛いと感じる。 酷いことや悲しいことを目の前にした時も、同じように感じる。 今も、少しそれに近かった。 賢者の石を求めることは、失った体を求めることと同義だった。賢者の石を諦めることは、失った体を諦めることと同じ意味だった。 アルは、兄の片腕と片足を。 兄は、アルの全身を。 求める部位の多さがそのまま比例すると、単純に思うわけではないけれど、それでも比べてみることができるのなら、確実に自分のそれよりも兄の気持ちの方が強いだろう。 後悔も、自分を責める気持ちも罪の意識も。取り戻したいと思う気持ちも。 求める気持ちが大きく強ければ、叶わない絶望もまた大きい。 あの瞬間、兄は全ての希望から遠く離れた場所にいた。痛みが、また、アルの内側に起こった。 一人で、そんなところに行かないでほしい。 ずっと一緒に生きてきたのに、一緒に歩いてきたのに。 闇の中に、白い手袋が現れ、隠れる。アルは、ちぐはぐな足音を石畳に響かせる兄の、固く握り締められた小さな手を見つめた。いつの間にか雲間が切れて、月が夜の街を照らしていた。古い石敷きの道を、ガスの切れた街灯を、薄汚れたゴミ置き場を。兄の手を。 鎧の指がかすかに開いて、ぎゅっと指先を手のひらに握りこんだ。手をつなぎたかった。もう小さな子供じゃないのに、おかしいけれど。 白い手袋に包まれた手を、自分とつないでくれないかなと、アルは思った。 ずっと小さかった頃みたいに、この手をしっかりと握って。 絶望の淵も後悔の闇も、連れていって。 |
04.3.10 アニメの展開的にどうなるのかなーと思ってアップを見送っていたSSを更新しました。アニメの第5研究所潜入前。兄さんの「もういい」をなんとか消化したかったみたいです。 |