秘密 |
食べるものも着るものも眠ることも望まない少年が、1つだけ約束がほしいと言った。 黄昏時の執務室は、オレンジ色の焔の中にあった。 「一人で来るのは珍しいね」 珍しいどころか、初めてのことだ。鎧の姿をした少年は、「今日は大佐にお願いしたいことがあって……」と小さく控えめな声でそう答えた。 それもまた、珍しいことであり、初めてのことだった。 しかし、ありうべきことだった。 ロイはソファに座ったまま足を組みなおした。彼ら兄弟の事情を正確に知る人間は、彼らの隣家の老婆とその孫、そしてロイの部下の一人と、ロイ。 その中から自分を名指しでの、「お願い」となれば。 「ボクの身体を、魂ごと焼いてほしいんです」 静かな声が、からっぽの鎧の中に反響した。震える響きをすべて集めるように、鋼鉄の膝の上に揃えられた拳の中で、指先がきゅっと握りこまれた。 「……どうして、私なんだね?」 白羽の矢が立つ理由など、十は思いついてはいたが、ロイは少年の口から明確な理由を聞きたかった。当たり前だ。人殺しをしろという頼みなのだから。それが、本人の希望であっても。 「えっと、おかしいかもしれませんけど……」 と、少年の声は言いづらそうに口ごもった。鎧の頭部がかしぐように、赤い視線をテーブルの縁へと落とした。 「火葬みたいかなって思って」と、少年は言葉を続けた。 「自分で、血印を壊すことはできると思うんです。でも、ボク、その時は、死ぬことになるのかなって思って……、そしたら、その……、大佐の焔なら鉄の鎧も燃やせるかなって、思って」 身体が燃えて灰になるなら、それは人を葬るのに似ている、と。 そういうことを言いたいらしい少年は、けれどその言葉をうまく導き出せずに、だんだんと声を弱くしていった。 沈黙の後に鎧が顔を上げ、小さく首を傾げて、「お願いできますか?」と尋ねた。健やかな子供の声は、「お願い」の内容にひどくそぐわなかった。 けれど、身体ごと血印を焼いてほしい理由を、火葬みたいだからと告げる幼い発想に、翳りのないその声はこれ以上なく似つかわしかった。 「それは、いつだね?」 鎧の中で、赤い光がどこか遠くを見たようだった。とても遠く、けれどいつかたどり着く予感のするその場所を見つめながら、いまだ幼い声は言葉を探した。 「ボクが……、兄さんの重荷になりすぎた時、とか、ボクに、限界がきた時とか……」 身体を失うことを、ロイは経験したことがない。眠らずに過ごす毎日も、片時も途切れることのない記憶の連続も。五感のうちの三つを失うことも。 それでも生きてゆくということを、ロイは知らない。 わかるのは、鎧の身体に魂だけをとどまらせた少年が今それを経験していること。そして。 気が狂う。 その言葉が静かな恐れとともに、ひっそりと少年の魂に寄り添っていることだった。 「そうじゃなかったら、大佐が、もうここまでだと判断した時に」 ごめんなさい。ごめんなさい、と。 死人のような目をした兄をのせた車椅子を押して、からっぽの鎧の中で反響する小さな声が、ロイの耳によみがえった。 「許してください」と。 あの時も、この少年は自分へと許しを乞うた。そして今も、ソファの上に大きな身を縮こまらせるように座って、ロイに許しを乞うている。 兄を置いて行くことへの許しを。 兄を裏切ることへの許しを。 そして、兄が裏切ることへの赦しを。 いつか、そのひがきたら、ゆるしてください。 少年の愛らしい声が、焔のような夕暮れの中で幻聴のように聞こえた。ロイの脳裏に、燃えさかる戦場の業火が鮮やかに蘇り、消えた。 少年の人選は正しかった。少年の願いを叶えるのに、ロイこそ最も相応しい。 ロイはソファから立ち上がった。赤い目がロイを追って見上げる。テーブルを回り込み、窓の向こうで夕焼けにそまる空を背にして傍らに立ったロイを、少年は何も言わずにじっと見つめた。 「約束しよう」と答えた瞬間、ロイは悪魔と契約を結んだような気分になった。それとも、少年の目に映る自分こそ悪魔だろうか。 黄昏時は逢う魔が時。 どちらが悪魔でも、互いに魔が差したのでもかまわない。約束しよう。君の兄に殺されることになっても、その時がきたら必ず、君の願いを叶えてやろう。 ロイは手袋に包まれた指先で、契約の印のように鎧の頭部にふれ、頬を撫でるように手を滑らせた。 もとの身体を取り戻すその願いを叶えると、兄が約束するのなら。 もう一つの願いは必ず私が叶えると、約束する。 いつか、その時がきたら。 必ず、君を人として死なせてあげよう。 ロイは指の先で、鋭く噛み合った口角を強くなぞった。 私たちは秘密の多い関係だね。 と、そう言うと、鎧の中の小さな子供は笑ったようだった。 |
04.6.16 大佐とアルの間には、兄さんの知らない秘密の約束がいっぱいです。 最後の大佐の台詞と、指でアルの口をなぞるところをかきたかっただけ…です…。すみません…。 |