雨の日は



















雑貨店を出ると、雨が降っていた。

アルは空を見上げた。灰色の雨雲がぎっしりと詰まり、細かい雨の粒が、さぁっと静かな音をたてて大通りの石畳に降り注ぐ。

シャワーみたい。

なんて、のんびり考えている場合でもなかったが、踏み出しそこねた足を止めたまま、アルは通りを眺めた。

急に振り出した雨に、背広を頭の上に広げて大人の人が走ってゆく。通りを挟んで少し離れた花屋さんが、軒先に広げていた色とりどりの花を店の中へと急いで片付ける。黒い車が、雨粒を弾いてアルの前を横切っていく。

宿までの距離はけっこうあった。鋼の鎧で街中を走るのは、危ないのでしたくない。もしも誰かにぶつかってしまったら、相手は軽い怪我ではすまないだろう。

それになにより。

アルは再び視線を空へと向けた。

宿に残って今頃はすっかり研究に没頭しているだろう兄が、ひどく嫌がるのだ。
アルの身体が、水に濡れることを。

背中の内側の血印は、ちょっとの水に濡れたぐらいでは消えたりはしないけれど。濡れて帰った弟の身体を見れば、兄は苦しいのに無理やり笑うような顔をして、「早く拭かないと錆びるぞ」とひび割れた声でからかうように、言うのだ。

兄さんに、そんな顔をさせたくない。

そう思うのと同時に、アルがそんな兄の顔を見たくはなかった。

アルは両腕の中の茶色い紙袋を、ぎゅうっと胸に抱きしめた。雨、いつになったらやむかな。

それとも、傘を買った方がいいだろうか。幸い、出てきたばかりの雑貨店には安物ではあったが傘も置いてあった。アルの全身を覆うには足りないだろうが、首の後ろの辺りだけ雨から守れれば問題ない。

傘、買おうかな。

アルは自然と下がっていた視線を、また空へと上げた。雨はシャワーのように、降り続ける。

でも荷物になっちゃうよねえ。

旅の身に、余計な荷物は増やせない。傘はすでに1本、兄のトランクの中に常備してあった。どうしようかな。

悩んでいるうちに、雨がやんでくれたらいいなあと思いながら、ぼんやりとアルは空を見上げた。建物や石畳を叩く雨音に、通りを走る車が水を跳ねる音が混じる。雨を避けて急ぐ人々の、足音が。

「アル!」

名前を呼ばれて、アルは聞こえてきた声の方へと空洞の眼窩を向けた。
大通りの反対側から、車道を渡って赤いコート姿の兄が走ってくる。

「兄さん」

お腹でも減ったのかな。

集中すると食べることも眠ることも忘れてしまうような兄だが、宿から出てくる理由が他に思いつかなくて、アルは小さく首をかしげた。

見下ろすアルの視線の先で、兄はコートを脱いだ。

「わっ!」

「行くぞ」

真っ暗になった視界に、声が聞こえた。頭部に被せられたコートを片手で避けると、雨の中、黒い上着の小さな背中が通りを渡って行くところだった。車通りの途切れた車道を、ゆっくりとした足取りで。



小さなコートを頭にかけなおして、アルは兄の後を歩いて宿に戻った。


























04.6.16
兄さんは雨が降ってきたのでアルを迎えにきました。