僕の小鳥

























「鋼ののお供かね?」と。

東方司令部の通路の一角に設えられた喫煙所でベンチに座っていると、声をかけられた。顔を上げれば、旅暮らしの身には数少ない見慣れた相手が微笑む少し手前の表情でアルを見下ろしていた。

「はい。査定の書類を取りに行ってます」

「もうそんな時期か」

座っても、と、尋ねられて、アルは場所を作るように身体をずらした。大佐はベンチの端に座って、軍服の襟を緩めた。

「煙草、吸うんですか?」

数えるほどしか会ったことがない相手なので知らなくても当然だったが、煙草を吸っている姿を見たことがなかったので、アルは素直に質問してみた。
大佐はアルを見上げ、軽く目を瞬いてから、「いや」と答えた。

「どうして?」

と、小首をかしげて尋ね返されて、アルは少し困った。煙草を吸わないのに喫煙所のベンチに座っている相手にこそ、「どうして?」と聞きたいところだ。喫煙者ではないことに関してはアルも同じだったが、自分のことなので理由はわかっている。軍の施設内には、ただ人を待つだけの子供が座っていられる場所がないからだった。喫煙所のベンチか、食堂の隅っこか、敷地内の庭のどこか。

喫煙所を選んだのは、外では雨が降っているのと、正午を過ぎたばかりの時刻が理由だった。
大佐が来るまで、通路の隅のベンチには誰も現れなかった。

じっと答えを待つ相手に、アルはやはり正直に答えた。

「煙草を吸っているところを見たことがなかったので」

「喫煙の習慣はないのでね」

アルの言葉を肯定して、大佐は部下の観察力を評価するように厳かに頷いた。

じゃあ、何でここに座っているのかなあ、と。アルの疑問は解消されなかったが、ついでに別なことを尋ねてみることにした。

「大佐は、他の錬金術もできるんですよね?」

空気をもとに、火種の周囲に大量の酸素を練成して爆発的な焔を作り出す。
二つ名の由来でもある特異な練成術を、アルも数回、目撃したことがあったが、練成陣を描いている姿を見たことは一度もない。
錬金術は特異な技能で、基礎もなくいきなり応用ができてもおかしくはなかった。

アルの問いに、大佐は目を細め、半ば思っていた通りに「どうして?」と尋ね返した。

「練成陣を書いているところを、見たことがなかったので」

用意していた答えを返すと、大佐は「なるほど」と頷いた。

「チョークを持っているかね?」

「あ、はい」

錬金術師として当然携帯しているチョークを取り出して、アルは大佐に差し出した。手袋をした手がそれを受け取り、ベンチの隅に小さな円を書いた。その内側に小さな円、円と円の間に構築式が書き込まれる。

アルが式を読み取るよりも早く、円が青く発光した。

「とり?」

少しへこんだベンチの上に現れたのは、木製の小さな鳥だった。子供の描いた絵のように、単純で愛らしい形をしたそれを取り上げて、大佐は「手紙を書くときに使うといい」と言ってアルに差し出した。

手のひらの上にちょこんと乗せられた茶色い小鳥が、つぶらな目でアルを見上げた。

「ペーパー・ウェイトですか?」

木製ではその用を成さないのではないかと思いながら尋ねると、「中に銅が入っている」と意を得たような声が答えた。

思わずベンチの上をきょろきょろ見回すと、板を留めるネジ頭がいくつか消えていた。
アルの手にその重さはわからないが、ちゃんと紙を押さえることはできるようだ。けれど。

手紙を書く相手が、アルにはいなかった。一瞬、故郷の幼なじみと世話になった老婆の顔が浮かんだが、彼女たちに手紙を書くことは、多分、兄が嫌がるだろう。

すべてを捨てなければ求めるものを得ることはできないと、そう思っている兄は。

傍らで立ち上がる気配がして、一瞬、内側へ向かっていた意識が戻る。見上げる視線は、見下ろすそれとからまった。

「手紙が届くのを待っているよ」

と。

そう言って、糸がほどけるように笑う顔が、通路の明かりの影になった。
アルが言葉を返す前に、背を向けた相手は立ち去っていった。





















笑った顔を見たのは、初めてで。

その後、わりあいよく笑うその人の笑顔を何度も見ることになるなんて、アルはもちろん思っていなかった。

ただ、手のひらに小さな小鳥をのせたまま、通路の向こうに小さくなってゆく背を黙って見送っていた。






























04.4.24
文鎮は手紙を書くとき以外にも使えるけどまあいいじゃないですか!
続きもありますがもっとロイアル度があがります。→ OK!